THE MIDDLE WAY
BALANCEバランス(中庸)
「足すより引く」。でも、引きすぎもまた不足です。体にまつわる多くのことは、少なすぎても多すぎても良くない——健康の core にある「ちょうどよさ」を考えます。
「足す・引く」の先にある「ちょうどよさ」
このライブラリは「足すより、引く」を基本の姿勢にしています。サプリや「体にいいもの」を足し続けるより、食べすぎ・座りすぎ・夜ふかしを引いていくほうが、体はもとの力を取り戻す——それは今も変わりません。 ただ、引き算にも「底」があります。食べなさすぎ、動かなさすぎ、削りすぎもまた体を弱らせます。だから本当のゴールは「ゼロ」でも「最大」でもなく、そのあいだの「ちょうどよさ」——昔の言葉で言えば「中庸(ちゅうよう)」です。
歴史——「ちょうどよさ」を、人類はずっと探してきた
「バランスが大事」は新しい健康トレンドではありません。洋の東西を問わず、古くから語られてきた知恵です。
勇気は「臆病」と「無謀」の中間にある——古代ギリシャの哲学者は、徳とは両極端の真ん中(メソテース)にあると説いた。過剰でも不足でもない点に善さがある、という考え方。
儒教の古典『中庸』は、偏らない中正の道を説く。孔子の「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」も、やりすぎは足りないのと同じくらい良くない、という同じ知恵。
16世紀の医師は「すべての物は毒であり、毒でないものはない。量だけが毒かどうかを決める」と言った。水さえ飲みすぎれば害になる。何を、ではなく「どれだけ」が問われる。
昇れば、沈む——自然の摂理としてのバランス
そもそもバランスは、人間が決めたルールではありません。自然そのものの成り立ちです。東から昇った太陽が西に沈むように、世界は「片方へ行っては、戻る」ことでできています。
どれも「片方だけ」では成り立ちません。振れて、戻る。その往復が世界を回している。そして人の体も、この自然の一部です。心拍も、呼吸も、血糖も、ホルモンも、上がっては下がる波でできています(恒常性・リズム)。 だとすれば、健康とは一点に留まろうとすることではなく、揺れながら釣り合うこと——つまり、この摂理に沿うことです。一方へ振り切る「極端」は、昇ったまま沈まないよう抗うようなもの。自然に逆らうから、続かないし、無理がくる。バランスとは、頑張って作るものというより、もともとの流れに、体を預け直すことなのかもしれません。
体は「U字」でできている
現代の研究を見ても、体にまつわる多くのことは「U字」の関係にあります。横軸に「量」、縦軸に「リスク」をとると、少なすぎるところと多すぎるところでリスクが上がり、真ん中がいちばん低い——そんな谷型のカーブが、あちこちに現れます。
このライブラリでも、同じU字を何度も見てきました。
なぜ「適度」が効くのか——ホルミシス
面白いのは、体にとって「適度な負荷」はむしろ体を強くするということです。これをホルミシスと呼びます[1]。運動で筋肉に軽いダメージがかかると、それに応えて筋肉は前より強くなる。適度な空腹、適度な寒さ・暑さ、植物が持つ微量の刺激物質——こうした「小さなストレス」が、体の適応力・回復力のスイッチを入れるのです。 ただし、これは「適度」だからこそ。同じ刺激も、度を越えれば単なる損傷になります。運動もやりすぎれば故障し、空腹も過ぎれば飢餓になる。薬と毒を分けるのは「量」だという、パラケルススの言葉がそのまま生理学になっている。バランスとは、この「効く量」と「害になる量」の境目を探すことでもあります。
「二択」の罠と、やじろべえ
私たちはつい、「Aか、Bか」の二択で考えてしまいます。糖質は敵か味方か。肉は善か悪か。運動はする人かしない人か——。わかりやすいので飛びつきたくなりますが、体の答えはたいていそのあいだ(between)にあります。どちらかの極を選んだ時点で、もうU字の端に立っているのです。
バランスは、やじろべえに似ています。やじろべえは、どちらか片方に重りを寄せれば倒れます。そして面白いことに、ピタリと静止しているわけではありません。左右に小さく揺れながら、全体として釣り合っている。バランスとは「固定」ではなく「動きながら取り続けるもの」——揺れてもいい、寄りすぎなければいい、というのが本質です。
「健康のため」の顔をした、ただの極端
いちばん見えにくいのが、「健康にいい」と信じてやっている極端です。たとえば——毎日、玄米しか食べない。糖質を完全にゼロにする。水を1日4リットル飲む。サプリを山ほど盛る。体にいいものを「徹底する」ほど正しい、という思い込み。 でも、玄米が体にいいことと、「玄米だけを毎日」が体にいいことは、別の話です。玄米には消化の負担やミネラルの吸収を妨げる成分もあり、そればかりに偏れば栄養は痩せていきます。それは健康思考ではなく、健康の顔をした極端——U字の、もう片方の端です。「体に悪いものの摂りすぎ」は警戒されやすいのに、「体にいいものの偏り」は正義の顔をしているぶん、気づきにくい。
一つの食品・一つの方法を「正解」にした瞬間、中庸から遠ざかる。
——釣り合いを作るのは、徹底ではなく、多様性と振れ幅のほうです。
「毎日、同じ」も、ひとつの極端
「習慣を作ろう」「毎日続けよう」——これも一般には良いこととされます。でも、ここにも落とし穴があります。毎日まったく同じは、言いかえれば「振れ幅がゼロ」。それもまた、やじろべえが片側で固まってしまった状態——一様さという極端です。 同じ食事、同じ運動、同じ強度をずっと繰り返すと、体はそれに慣れて、刺激に応えなくなっていきます(適応の頭打ち)。ホルミシスで見たように、体を強くするのは「一定」ではなく適度なゆらぎ・変化です。季節でとれる物が変わる、運動に強い日と軽い日をつくる、たまに何もしない日を挟む——その振れ幅こそが釣り合いをつくります。
食べ物も同じ——「体に聞く」という本質
食べ物でも、同じことが起きます。毎朝きまって同じ健康食品——青汁、プロテイン、ヨーグルト、決まったサプリ——を口に入れる。それ自体は、じつは健康になっていることではありません。ただ「習慣になっている」だけです。 「体にいいから」で始めても、続けるうちに目的が抜け落ち、「やること」だけが残ります。惰性で口に運ぶそれは、もう中庸ではありません。大切なのは、何を摂るかを固定することではなく——毎日、体に聞くことです。
今日の自分は、それを求めているか。
お腹は空いているか、胃は重くないか。何が足りない感じがするか。同じものを機械的に入れるのではなく、その日の体と対話して選び直す。この「聞いて、選ぶ」の繰り返しこそ、やじろべえの揺れ——動きながら取り続けるバランスです。
ただし、体の声も万能ではありません。「甘いものが欲しい」の裏に、習慣や依存、ストレスが隠れていることもあります。だから体感だけに委ねず、知識や記録と両輪で。それでも出発点は、パッケージの「体にいい」ではなく、自分の体の実感に置く——ここが、健康を他人まかせにしないための芯になります。
自分の「ちょうどよさ」を見つける
やっかいなのは、U字の底の位置が人によって違うことです。年齢・体質・生活・持病によって、「ちょうどよい量」はずれます。だから健康は、誰かの正解をコピーすることではなく、自分の谷を、自分で探し当てる作業になります。
「これさえやれば」「完全に断つ」——極端は分かりやすいが、たいていU字の端。ブームより、ほどほどの継続。
同じ量でも、体調・季節・年齢で最適は動く。数値や体感を記録して、自分の反応を見る。
体は一定を保つために、たえず微調整している(恒常性)。毎日きっちり同じでなくていい。ぶれても戻ればいい。
足すこと・引くことは目的ではなく、ちょうどよさに近づく手段。今の自分に足りないほうへ動かす。
足すより、引く。引きすぎず、ちょうどよく。
——健康とは、最大でも最小でもなく、自分の「谷」を探し続けること。
体から、世界へ——バランスが取れれば
ここまで体の話をしてきましたが、同じ摂理は体の外にも及ぶのかもしれません。偏り(アンバランス)は、体のなかでは病になり、人と人のあいだでは争いになります。片方が満ちて片方が渇く、足りるを知らずに奪い合う、行き過ぎても戻れない——その不均衡こそ、対立や戦争の根にあるものではないでしょうか。 だとすれば、本当にバランスが取れていれば、戦争も起きないはずです。足るを知り、分かち合い、行き過ぎたら戻る。理想論に聞こえるかもしれません。でも、体のなかで起きていることと、世界で起きていることは、同じ「振れすぎ・戻れなさ」の問題なのかもしれない——そう考えると、自分の体の釣り合いを取り戻すことは、小さくても、その摂理を思い出す一歩になります。 健康は、自分だけの問題にとどまりません。自分の体の主権を取り戻すという静かな営みは、めぐりめぐって、世界の釣り合いにもつながっている——バランスという言葉には、それくらいの射程があると、私たちは考えています。
WHAT WE REALLY MEAN
Mitoflow40がいちばん伝えたいのは、
実は、ここです。
私たちは血液データを読み解き、栄養を語ります。でも、本当に一番伝えたいのは、検査の数値でも、特定の栄養素でもありません。それは、自分の体に聞き、ちょうどよさを自分で取り続ける力——このページで話してきた「バランス」そのものです。 血液データは地図、栄養は道具にすぎません。使う目的は、他人の正解に体を合わせることではなく、自分のやじろべえの中心を見つけること。検査も知識も、最後は「自分の体の主権を取り戻す」ために使う。だからこのページは、すべての入口であり、いつでも立ち返る場所なのです。
参照
- [1]Hormesis defined(適度な負荷が生体の適応・回復力を高める「ホルミシス」の総説) — Mattson MP, Ageing Research Reviews, 2008

