MANIFESTO / 著書より
健康とは、
カウンターカルチャーである。
——身体から始める静かな反抗
これは、Mitoflow40の背景にある一冊の本の考え方です。健康を、制度や市場や誰かの「正解」に明け渡すのではなく、もう一度自分の身体の主権を取り戻すこと。それは、激しい革命ではなく、いちばん静かで、いちばん個人的な反抗です。
「あなたの身体は、
あなたのものですか?」
「私の身体なんだから、私のもの」——言葉ではそう言える。でも、日々を振り返ってみてほしい。食べるものは誰が決めている? 体調の異変を感じたとき、まず向かうのはどこ? 何をもって「健康」とし、何をもって「異常」と判断しているか。その答えを、いつの間にか他人や制度に明け渡していないだろうか。 現代医療の恩恵は計り知れない。それを否定するのではない。ただ、数値が出なければ健康、診断がつかなければ正常と言われ続けるなかで、私たちは「まだ病気じゃないだけの身体」を、自分の健康だと思い込まされてきた。本書は、それを取り戻すための、静かな提案である。
あなたの身体は、誰のものか?
「あなたの健康のために。」——テレビから、薬局から、役所から、まるで呪文のように聞こえてくる。でも、その健康は誰の視点で語られているのだろう。いつしか私たちは、自分の身体の声ではなく、外からの指示に従う健康を「正解」と思わされてきた。本書は、その主権を取り戻すための提案である。
自分の身体に耳をすますこと。食べるものを選ぶこと。感じることを大切にすること。それは現代社会に対する、もっとも穏やかでもっとも根源的な反抗だ。
カウンターカルチャーとは、「主流から降りる」こと
ビート、ヒッピー、パンク。1960〜70年代の若者たちは、用意されたレール(学校・就職・結婚・マイホーム)から「体ごと降りる」生き方を選んだ。日本でも寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」、全共闘、中津川フォークジャンボリーやはっぴいえんど——制度に反対するのではなく、制度に依存せずに生きるという思想があった。それは「反対の文化」ではなく、もうひとつの文化(オルタナティブ)だ。
カウンターカルチャーとは、騒がしいものではない。内側から始まる小さな違和感を、言葉にし、形にし、生き方にまで落とし込む運動だ。その最前線は——いま、あなたの身体にある。
健康は、いつから「管理されるもの」になったのか
かつて健康は、暮らしの中で育てる知恵だった。だが近代以降、血圧・血糖・体温が数値化され、「正常/異常」で身体が分類されるようになる。「24時間戦えますか?」——働ける身体こそ健康とされ、個人の身体は産業と国家のコンディション維持にすり替えられた。世界のヘルスケア市場は10兆ドルを超える。そこでは皮肉にも、本当の健康はむしろ都合が悪い。
標準化は便利だ。でも、便利さが感覚を鈍らせるとき、その構造は支配へと変わる。しかもこの支配は、「あなたのために」と語りかけてくる、もっとも優しいかたちの支配だ。
身体への帰還——食べない、休む、感じる
足すことが正義の時代に、あえて「引く」。16時間断食はオートファジー(細胞の大掃除)を起動し、ノイズを削ぎ落として身体の声を聞く余白をつくる。休むことに「リカバリー」や「セルフケア」という名前をつけないと堂々と休めない社会で、ただ「何もしたくないから何もしない」を取り戻す。感じることは、数値で測れない身体のリアルに主語を戻す行為だ。
断食とは、消費社会への静かなカウンターである。足すではなく、引くことで立ち上がる再構築のプロセス。静かで、でも確実な、生命の内燃機関である。
セルフケアはDIYである——精密栄養と自由意志
DIY=Do It Yourself。パンクが「自分たちの手で」音楽をつくったように、健康も自分の手で手入れする。分子栄養学から精密栄養学へ——血液検査・遺伝子・腸内環境のデータが個人に降りてきた。だが大切なのは、データに依存することではなく、データと自分の感覚を接続すること。「理解し、観察し、試し、調整する」ループを、自分の手の中に持つこと。
「主治医は自分」。医者任せではなく、日常的なケアと判断の主体を「私自身」が持つ。この感覚を取り戻すことは、実はとてもパンクで、カウンターなことだ。
身体を変えると、世界が変わる
栄養が偏ると、思考が偏る。セロトニンもドーパミンも、身体が原料から合成する「ものづくり」の産物だ。原料がなければ、前向きさも冷静さも育たない。その中心にいるのがミトコンドリア——20億年前、酸素という猛毒をエネルギーに変えて生き延びた、共生という名のカウンターカルチャー的選択の末裔。とくに40代は、代謝が切り替わる「ミトコンドリアの再設計期」だ。
ミトコンドリアを、メンテナンスの対象ではなく、共に生きるパートナーとして捉え直す。この視点を、私は「ミトフロー」と名付けた。
健康とは、“生き方”である
健康とは、何かを「足す」ことでも、「治す」ことでも、「証明する」ことでもない。日々の選択に、自分の在り方がにじむこと。何を食べ、いつ眠り、誰と過ごし、何に耳を傾けるか——そのすべてに、あなたの健康は息づいている。それは完成ではなく、営みだ。
あなたの身体は、あなたのものですか? その問いに、自分の声で「はい」と答えられるようになったとき——あなたはきっと、もう誰のものでもないあなたの人生を歩きはじめている。
※ 本ページは一冊の本の思想・生き方の提案を紹介するもので、特定の治療法を勧める医療アドバイスではありません。断食やサプリメントなどの実践は、体質・持病・服薬によって向き不向きがあります。不調があるときや持病のある方は、自己判断せず、まず医療機関にご相談ください。「自分でケアする」と「医療を上手に使う」は、対立するものではありません。
学んだ先に、たどり着いた考え方
Mitoflow40がやろうとしているのは、まさにこの本の実践です。健康の知識を専門家や権威だけのものにせず、遺伝子・血液検査・栄養という「道具」と「知識」を一人ひとりに手渡し、自分の体を自分で読み解けるようにする。それは、半世紀前の若者がカタログや音楽でやろうとしたことの、健康版でもあります。 ただし、これは「自己責任」を押しつける話ではありません。むしろ逆で、日々の選択を自分の手の中に取り戻す、ささやかで確かな自由の話です。極端ではなく、過不足のない「中庸」を大切に。
健康とは状態ではない。
「生き方そのもの」なのだ。
Choose health, but don’t let them choose it for you.
健康とは、カウンターカルチャーである。――身体から始める静かな反抗
著・小林 大介(DAISUKE KOBAYASHI)/ 発行:Hyperbeat Books / 2025年4月10日
1980年、愛知県一宮市生まれ。オーストラリア生活を経て2014年に徳島県へ定住。ビデオグラファー、フォトグラファー、ライターとしてのクリエイティブ活動のかたわら、精密栄養学を学び、ミトコンドリアに着目したセルフケア「ミトフロー」を提唱。映画・音楽・漫画などのサブカルチャーから多大な影響を受けている。釣り好きで、山の猟師でもある。
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